私は五歳の時、脊髄にできた原因不明の腫瘍を除去する手術を受けた。それ以来、下半身完全まひの身体障がい者、車いすユーザーとなった。 立つ、歩く、走るといった動作はまったくできない。感覚も失われているから、痛さ、熱さ、寒さなども下半身はまるで感じない。排泄のタイミングもわからない。だから排泄は時間の経過をみたり、あるいは腹部を手でさわってみて、たまっていたりしたらトイレに向かう。 失われたものはそれ以外にもいろいろあるが、ひとが生きる上でもっとも大切なもののひとつ、といっていいくらい大切なものも失われた。 私は、セックスができない。. 障がい者の性、についてはもうかなり以前から書籍やネット、映像などでさまざまな意見や経験が出されている。 そういった「障がい者の性」に関する書籍、ネット情報はこれまで、自分なりにいろいろと調べてきた。私の調べた限り、性行為は障がいがあってもできる、性的感覚は得られる。あるいは代わりとなる行為もあるといった、障がい者にも性行為は可能、性的感覚が完全に失われているわけではない、といった意見を目にすることが多かった。 しかし正直に言ってしまうと、それらの意見に納得できるもの、あるいは実践できたものは私の場合見つからなかった。だからいまだに私にとって「セックス」とはなんなのか、わからないままなのである。 今回、そのことを前提として、私の「性」に関する経験、挫折、絶望についてを語ってみたい。. 小、中学生時は、心身障害者養護学校に通っていた。中学部くらいになると普通の中学生とおなじように異性を意識しはじめた。と同時に、男子生徒の間であるものが出回りはじめた。グラビア本、ビデオテープ。そういう類のものだ。同級生、先輩後輩がそれらのものを教室に持ち込み、貸し借りをした。 私も中学二年の時、はじめてそんなビデオを借りた。夜中、家族が寝静まった頃、居間のデッキにビデオを入れて再生した。画質の荒い、男女の行為が流れてきた。私の頭が熱を持ってきた。そして、こういう時に普通の男性が行う行為を、どこで知ったか記憶にないがやってみた。ここまではよかった。 ところが、からだはまったく反応しなかった。そうすることで得られるはずの快感も一切なかった。 しかし、私はあきらめきれなかった。それからは性的快感を求める日々がはじまった。 学校を卒業し、成人になってからも足掻きは続いた。インターネットが普及してからはその手のサイトを巡った。PCがクラッシュしかけるような危ないサイトも幾度踏んだか知れない。レンタルショップの奥にあるカーテンを肩をひそめてくぐり、狭い棚に詰め込まれたDVDを手に取り、その後、適当に選んだ興味もない映画のDVDをその上に重ね、男性が担当するレジに向かった。 それらにすがりながら、行為を何度も繰り返した。かなり無理なこともし、もしかしたらこれが、と思ったこともあった。だがその後ひどい吐き気におそわれ、実際吐いた。命を何年か削ってくれていいからおれにあの快感をくれないか、と真剣に神社でお参りしたこともあった。 クラスに相変わらず出回る本を夜中、布団のなかで開いた。自分の部屋にデッキをつけてもらってからは、録画した映画のいわゆるベッドシーンを何度も再生した。近所の本屋で一番いかがわしそうな雑誌を、他の本を読むふりをしながら延々2時間立ち読みしたこともあった。. また、やはりその職場で勤めていた頃、仕事終わりに先輩の男性にコーヒーを淹れるから飲まないか、と寮の部屋に誘われた。そこでコーヒーを淹れてもらっている間、つけっぱなしのノートパソコンに目がいった。ワードやエクセルといったアプリが並ぶなか、少し違和感のある見た目のアプリがあった。これなんですか、と、何気なくたずねると、ああそれエロゲーム、やっていいよ、とあっさりと返事がきた。 驚きながらも起動させると、いきなり大きな音量で女性の声が流れてきたので慌てて消してしまった。ついで疑問がわいた。先輩は自分とおなじようにそういう感覚はないものと思い込んでいたけど、もしかしてそうではないのか。あるいは自分とおなじようにもがき続けているのか。しかしやはりそれも前述の男性とおなじように、たずねることはできなかった。そうしているうちにコーヒーがきて、その疑問は頭にひっかかったまま終わってしまった。 虚しい時間を積み重ねたある夜、私は手を動かすのをやめた。それでもかすかな希望を、ひとつだけ胸底に抱きかかえていた。 好きなひとと実際に触れ合えれば、もしかしたら。. やがて、本当に幸いなことに、共に生きてくれるパートナーと出会った。 付き合いはじめてほどなくの夜、そのひとと触れ合った。私のようなものと生きていってくれるといってくれたひとなのだ。たいせつにしたかった。なにより、当然相手にも性欲はある。だから満たしてあげたかった。やがてこれが「普通のひと」が感じている性的な感覚なのか、と感じられるものがおとずれた。しかし互いに触れ合うことはできても、最後の行為だけはやはりどうしても不可能だった。 だから自分にできる限りのことをした。でも、これで本当にいいのか。このひとは満たされているのか。自分は満たされているのか。どうしてもわからなかった。いったいどうすれば互いに満たされるのか。それからもしばらくふたりで試行錯誤を続けてみたが、不完全燃焼の感は拭えず、また私が持病を患って体調を崩したことも重なり、やがて性行為自体から遠ざかるようになっていった。. 触れ合っているだけでいい。別に結ばれることばかりがすべてではない。そういった意見もたくさんみてきた。ある論文には「たいていの脊髄損傷者は、損傷以前よりセックスがより親密に、また精神的なものになった」「彼らは自分自身、そしてパートナーの身体に新しい形の喜びを見出したのである。彼らはそれを、触れ合い、愛撫し合い、お互いを探りながら見つけていくのである。」とあった(『YES,YOU CAN! 脊髄損傷者の自己管理ガイド【増補改訂】第14章 性的健康とリハビリテーション 日本せきずい基金』より)。 だが、と、私の思考はそこで迷走してしまう。それは最終的に結ばれることで得られる快感がわかるからこそそう言えるのではないか。それを最初から知らない私は、一体どうすればいいのだろう。そんな自分と生きることになったパートナー自身の性的欲求はどうしたらいいのだろう。記述にあるようなことは、私たちだってずっと続けてきた。それでも自分たちは満たされた、という完全な実感は得られないままここまできた。いったいなにを間違っていたのだろう。どこでボタンを掛け違えてしまったのだろう。 我ながら陰鬱だと自覚しているが、どうしてもそういう思いが拭えない。付け加えるなら、パートナーは子どもを望んでいた。だとすると尚更、結ばれる行為が必要になってくるではないか(当然不妊治療、養子縁組という方法があり、私たちもそのために動いたことはあったが、それについては別の機会があればそちらにゆずる)。. ここまで書いてきたように、障がい者の性に対する調べものはしてきたつもりだったが、ここまでストレートな言葉に出会うことはあまりなかった気がしたのだ。そしてふと気づいた。性というものについて、私はあまりに難しく考えすぎていたのかもしれない、と。 思春期に性というものの存在に気づいて以来、雑誌やDVDを観たりしつつ30年以上あがき続け、挫折を繰り返してきたからか、どうしたらそういった感覚を手にできるか、を、頭でとらえてしまっていたのかもしれない。でも、性的感覚とは脳や思考で考えるものとはまた違った領域にあるはずだ。「性とはいったいなにか」なんて哲学っぽいことをいちいち考えながらセックスするひとなんて、そうそういないだろう。 私もパートナーも、もう若いとはいえない年齢だ。でも、というよりだからこそ、もう一度ふたりで探し合ってみるべき時なのかもしれない。いつしか置き去りにしてしまったものを、もう一度探してみようか。少し勇気がいるが「どうやればいい?」と直截に話し合うことも必要だろう。また障がい者の性に関してどんな意見や体験をお持ちなのか、この記事に目を止めて下さった方々よりぜひ聞かせていただけたら、とも思う。 障がいがあるとはいえ、「ひと」としてせっかくこの世界に生まれてきた。その「ひと」にとってとても大切なものである性について、これからでも感じることができるなら、最後まであがいてみよう。もし見つけることができたら、私たちの人生にとってきっと大きな宝物、喜びになるだろうから。. twitter facebook hatebu line LINE! 生き方 障害者 悩み. 関連記事 ネットの話題. ランキング 一覧. 今月 SNS 1. 手話ってすごい 小学生のころの原体験 意思疎通できたときの喜びを求めて「もっと学びたい」. おすすめPR 一覧. CLOSE Q 取材リクエストする 記者に調べてほしいことを教えてください。 (必須). ペンネーム (必須). メールアドレス (任意) 取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください 編集部からご連絡させていただくことがございます. 利用規約 に同意する.
26歳で車いす生活に…今も、旅行もセックスも諦めない
「同じ悩みを持つ女性たちが前向きになってくれるように」恋愛やセックスも諦めない!下半身麻痺の車椅子YouTuber渋谷真子さんに聞く | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ その中には、脊髄損傷による勃起中枢の障害に伴う勃起もしくは射精障害を認め、その結果子作りにも影響してしまい男性不妊に陥る患者も少なくありません。 このように女性は、性交時に非常に積極的に行為することで、相手の下半身まひ男性の勃起を長びかせることが可能となる。彼女が体操およびその他の練習で、特定の筋肉の 26歳で車いす生活に…今も、旅行もセックスも諦めない:日経xwoman関連記事 ネットの話題. 離婚の背景を調べると、ハンディキャップのないパートナーが、相手のハンディキャップを受け入れ難いと考えていると見られるような原因ではないことは、決定的に明白であった。離婚のいくつかの例では、結婚そのものが早急すぎたのであったり、ハンディキャップのない人の側に愛情以外の理由から結婚した事情が見られた。そして、夫婦以外の人に対して性的関心を抱いたのが原因で離婚に至った例が非常に多かった。そのほか、ハンディキャップのある人で、相手に逃げられた後、その状態をうまく乗り切って、男性も女性も非常に多くの人が再婚しているという新事実も発見された Guttmann イギリスの例で、養子を迎えた何人かの下半身まひ者のすべては、養子縁組みの段取りは申し分なく取り計らわれていた。関係当局は好意を示し、懇切な協力を惜しまなかった、 Guttmann 。. 偏見を減少させるために、それよりもはるかに効果的な方法は、テレビのあらゆるタイプの番組の中に、ハンディキャップをテーマとしてでなく、ハンディキャップのある人を自然に登場させるように扱うことである。そうすればテレビを見る人に、ハンディキャップのある人とない人々の間には、基本的な相違はないのだということを理解させることができるからである(Constantina Safilios-Rotschild)。. 脊髄性運動失調と脳卒中の関係 パーキンソン病のリハビリと目的
3メートルの高さから落下 取り出したスマートフォンで…
感覚も失われているから、痛さ、熱さ、寒さなども下半身はまるで感じない。排泄のタイミングもわからない。だから排泄は時間の経過をみたり、あるいは腹部 今回は、かやぶき職人の見習いを始めて間もなく、かやぶき屋根の足場から落下して脊髄損傷で車いすユーザーになった渋谷真子さんが登場です。現在は その中には、脊髄損傷による勃起中枢の障害に伴う勃起もしくは射精障害を認め、その結果子作りにも影響してしまい男性不妊に陥る患者も少なくありません。関連記事 医療に関する様々な情報ブログ. 男性の陰茎は性的刺激を受けた際に勃起しますが、これは正確には陰茎内の血管が拡張し血液が大量に流れ込むことで起こります。 視覚による性的な情報のインプットや陰茎への直接的な性的刺激により、仙髄に存在する勃起中枢が興奮し副交感神経である骨盤神経を介して海綿体の平滑筋を弛緩させます。 筋肉が弛緩することで、陰茎内の血管も拡張し大量の血液が流入し陰茎の勃起が起こります。 次に射精についてです。 陰茎からの性的情報は仙髄に回収され、仙髄から脳にインプットされます。 その後、脳の視床下部と呼ばれる部分で処理された情報を元に、脳から下腹神経に刺激が入り射精が起こります。 少し難しい単語が続いてしまいましたが、端的に言えば、 仙髄が損傷すると勃起中枢の興奮が起こらずに勃起不全になり、性的刺激も入らないため射精に至らなくなる ということです。 脊髄損傷の程度によっては、勃起そのものは可能な方も少なくありませんが射精障害はほとんどの方で生じてしまいます。 これにより、 男性不妊となり子作りに影響が出てしまう わけです。. 送信前に プライバシーポリシー 別タブが開きます を必ずご確認下さい。. 渋谷真子さん(以下、渋谷) 現在の登録者数は11万人(年5月現在)。タイトルは宮崎駿監督の『もののけ姫』になぞらえて付けました。「森の中に住む女の子」というニュアンスですね。私が住んでいる山形県鶴岡市の田麦俣地区は、自然豊かで動物と共存している点がもののけ姫の森と似ているんです。. ほかの若い人と同様、施設にいるからだの不自由な若い人も、性的な問題を抱えている。ある施設で、からだの不自由な大ぜいの生徒について行なった未発表の調査によれば、性的な知識が、からだの不自由でない生徒よりもかなり低いことがわかった(Maj-Briht Bergstrom-Walan)。からだの不自由な若い人の、性について知りたいという欲求が応じられていないのは、たぶん、たとえば、この種のハンディキャップは、性的欲求や性的機能を妨げるものではない、ということをよく知らない教師に責任があるのであろう。. もしからだの不自由な人が、ハンディキャップによる現実的限界を認識する半面、それでもなお、活気のある楽しみ多き人生と、自己能力完成の機会がまだあることを認識するならば、自分が心理学的には人と変わるところはなく、肉体的にだけ変わっているということを、受け入れるのがより容易となる(Margareta Hellerstrom)。このことはさらに、自分を現在の状態によく順応させ、次いでは、自分の環境への順応へと広がることを可能にさせるものとなる。. ランキング 一覧. 手足の不自由な人の性的適応を向上させること セックスの問題は、リハビリテーションの間に取り扱うことと、現在よりもはるかに広範な程度に患者とディスカッションすることが必要である。もしも、通常の性交が可能だけれども困難な点があるという場合は、適当な体位を推薦できる態勢が整っていることが必要である。 もしも性交が不可能な場合には、からだの不自由な男性にも女性にも、実際の性交以外の方法でも満足を得ることが可能だということと、どういう方法で相手を満足させることができるかということを教えなければならない。からだの不自由な男性は、もし相手の女性が積極的であり、適当な刺激が得られるときは、性交することが可能な場合のあることを認識しなければならない。 リハビリテーション・センターは、他の肉体的機能の向上訓練をやるのと同様に、性的行為能力を向上させる訓練も施すことができるはずである。 3. 手足の不自由な人には、それが男性であっても女性であっても、自由で現実的なセックス・カウンセリングを進めること 最初に、そして最も重要なこととして、手足の不自由な人にアドバイスを与える立場のすべての人は、第7章で論じられたような、手足の不自由な人の性的欲求と性的能力について、よく認識しなければならない。カウンセリングを成功させるのに必要な条件は、カウンセラーとからだの不自由な人との間の信頼関係である。全般的なセックス・カウンセリングと、医学的援助との多数の経験の累積が必要である。だから、セックス・カウンセリングを提供する機関と、リハビリテーション機関と、精神医学の専門家との間の協力が必要である。 2. 重いハンディキャップのある人は、自分の家に住めるように援助すること ハンディキャップのある人自身およびその子どもにとって、家庭内で必要な援助を提供するための資金の確保が極めて重要である。これにより、ハンディキャップのある人が自分の家を持つことを容易にさせるからである。ハンディキャップのある人のために、特別の地域に専用住宅街を建設することは、コミュニティの無差別化方針に逆行することで問題を起こす恐れがあるので、それよりは特別設計のアパート若干を、通常の住宅地域内に建てるほうが望ましい。 しかし、ハンディキャップのある人が、自分自身の家を持つことに特別の価値があることについては、公共的集合住居政策に対比して評価するよう、検討する必要がある。この際考えるべき問題は、利用可能な人的資源を、いかにすれば最大限に活用できるかということである。その問題の背景にあるものについて、本章で論議されたことは参考になるであろう。 2. メールアドレス 電話番号. しぶや・まこ/年山形県生まれ。高校卒業後、地元のカメラ工場、新聞社に勤務。18年父親の仕事であるかやぶき職人を目指すも、同年7月に足場から転落して下半身不随に。19年ユーチューブ「現代のもののけ姫Maco」を開設。現在は山形県と福岡県の2拠点で活動。著書に『普通で最高でハッピーなわたし 特別でもなんでもない二度目の人生』(扶桑社)がある. 脊髄損傷後の男性不妊に対する対応 では、脊髄損傷に伴う男性不妊に対してどういった対策が取れるのでしょうか? 勃起はできても射精ができない以上は男性不妊は解消されませんが、近年は医療の発達に伴い、精巣から精子を取り出して顕微鏡下で受精させる技術が存在 します。 これにより、射精が障害され精子の質が低下した男性でも 高い妊娠成功率を保つことが可能 になりました。. 小、中学生時は、心身障害者養護学校に通っていた。中学部くらいになると普通の中学生とおなじように異性を意識しはじめた。と同時に、男子生徒の間であるものが出回りはじめた。グラビア本、ビデオテープ。そういう類のものだ。同級生、先輩後輩がそれらのものを教室に持ち込み、貸し借りをした。 私も中学二年の時、はじめてそんなビデオを借りた。夜中、家族が寝静まった頃、居間のデッキにビデオを入れて再生した。画質の荒い、男女の行為が流れてきた。私の頭が熱を持ってきた。そして、こういう時に普通の男性が行う行為を、どこで知ったか記憶にないがやってみた。ここまではよかった。 ところが、からだはまったく反応しなかった。そうすることで得られるはずの快感も一切なかった。 しかし、私はあきらめきれなかった。それからは性的快感を求める日々がはじまった。 学校を卒業し、成人になってからも足掻きは続いた。インターネットが普及してからはその手のサイトを巡った。PCがクラッシュしかけるような危ないサイトも幾度踏んだか知れない。レンタルショップの奥にあるカーテンを肩をひそめてくぐり、狭い棚に詰め込まれたDVDを手に取り、その後、適当に選んだ興味もない映画のDVDをその上に重ね、男性が担当するレジに向かった。 それらにすがりながら、行為を何度も繰り返した。かなり無理なこともし、もしかしたらこれが、と思ったこともあった。だがその後ひどい吐き気におそわれ、実際吐いた。命を何年か削ってくれていいからおれにあの快感をくれないか、と真剣に神社でお参りしたこともあった。 クラスに相変わらず出回る本を夜中、布団のなかで開いた。自分の部屋にデッキをつけてもらってからは、録画した映画のいわゆるベッドシーンを何度も再生した。近所の本屋で一番いかがわしそうな雑誌を、他の本を読むふりをしながら延々2時間立ち読みしたこともあった。. 脳卒中・脊髄損傷のご相談 3ステップで簡単フォーム お名前 Email・TEL 年齢・内容 お名前をご記入ください 次へ. 気になる記事: 脊髄損傷の治療と再生医療などの新しい技術. 生き方 障害者 悩み. このようなからだの不自由さで子どもの学校教育を決定するべきではない。特殊学校と普通学校の両方ともに登校する経験をしたからだの不自由な子どもの大多数は、普通学校のほうが好きだと言っている。ある普通学校に置かれた特殊学級の生徒たちも、スペースの都合で普通学級の生徒たちといっしょでなく、別の時間に食事をさせられるなど、ほかの生徒との接触が複雑化されている事実にもかかわらず、自分たちが普通学校の中に置かれていることを歓迎している(Borje Ogelstam)。. 今回は、脊髄損傷における男性不妊についてまとめました。 仙髄は特に障害されやすく、神経細胞は一度損傷すると回復できないため、勃起不全や射精障害など日常生活に大きな支障をきたしてしまいます。 しかし、近年では再生医療の発達が目覚ましいです。 骨髄から採取した幹細胞を使った最先端の治療法であり、これにより今まで修復不可能と言われてきた神経細胞の再生が期待できます。 もし一度は損傷した神経も再生できれば、男性不妊の問題は解決し子作りも可能になるかもしれません。. 目次 非表示. 学校に入れることは、基本的には子どもの能力の限度によるのであり、中でも知的能力いかんによる。アメリカでの研究によれば、けいれん性まひの学齢児を持つ親は、子どもに年齢を越えた知的努力を強要し、からだの不自由なことをうめ合わさせようとする傾向があるという(Elizabeth Lord)。. 法律を制定することは、ハンディキャップのある人を、実際生活面で差別扱いするのを防止する補助的な効果はある。しかし、差別の原因を作る社会的および情緒的な問題に対しては別の方法で攻撃しなければならない(Constantina Safilios-Rotschild)。. 下半身まひ男性の実子を持つ能力についての情報はさまざまであるが、受傷後に実子を得た人が5パーセントということが、多くの報告で述べられている。ある報告では、人の下半身まひ男性が人の実子を得ている(Guttmann )。同じ報告者は、90人の下半身まひ男性の50パーセント以上は、生殖能力があると発表している。このことは、特別のテストで立証された(Guttmann )。. 貴宝院 永稔 医師 (大阪医科薬科大学卒業). ペッサリーの使用について、決定的な要素は、女性がそれを挿入する能力である 。 もしその女性がハンディキャップにもかかわらず、ペッサリーを自分自身で、あるいはパートナーの協力を得て挿入できるとしても、なお多数の心理学的マイナス点がある。ペッサリーは女性に対し、あらかじめ性交の行なわれることを予見することを要求する。なぜなら、ペッサリーが有効であるためには、女性はそれを性交の前に挿入しなければならないが、あまり前すぎてはいけないからである。それは、ヴァギナの形状は、女性のオルガズムの間に変化するので、ペッサリーはそのときヴァギナの内壁に完全には密着しないため、化学薬剤を併用しなければならないが、この薬剤は、性交の1時間以上前に挿入してはならないからである。. また、やはりその職場で勤めていた頃、仕事終わりに先輩の男性にコーヒーを淹れるから飲まないか、と寮の部屋に誘われた。そこでコーヒーを淹れてもらっている間、つけっぱなしのノートパソコンに目がいった。ワードやエクセルといったアプリが並ぶなか、少し違和感のある見た目のアプリがあった。これなんですか、と、何気なくたずねると、ああそれエロゲーム、やっていいよ、とあっさりと返事がきた。 驚きながらも起動させると、いきなり大きな音量で女性の声が流れてきたので慌てて消してしまった。ついで疑問がわいた。先輩は自分とおなじようにそういう感覚はないものと思い込んでいたけど、もしかしてそうではないのか。あるいは自分とおなじようにもがき続けているのか。しかしやはりそれも前述の男性とおなじように、たずねることはできなかった。そうしているうちにコーヒーがきて、その疑問は頭にひっかかったまま終わってしまった。 虚しい時間を積み重ねたある夜、私は手を動かすのをやめた。それでもかすかな希望を、ひとつだけ胸底に抱きかかえていた。 好きなひとと実際に触れ合えれば、もしかしたら。.